夢はお笑い芸人
高学年になった僕は、
もともと明るい性格とやんちゃな気質でクラスの中では目立つ存在でした。
そのころから人と楽しませるのが好きで、
いつも学校ではひょうきんものでクラスのみんなの盛り上げ役だったのです。
そんなこんなで人を笑わせることが好きな僕は次第にお笑い芸人にあこがれを持ち、
当時はやっていたひょうきん族やドリフ、吉本新喜劇は毎週欠かさずに見て真似をしていました。
(中学校になってもお笑い芸人の夢が捨てれなくて自分で吉本の本社に電話して、
「僕、芸人になりたいんです」といった思い出もあります)
もちろんこの頃もおかんは忙しかったので晩御飯の準備は僕が担当でしたね。
レパートリーが増えたかどうかはあんまり覚えてないですが、やっぱり商店街を走り回っているのを強烈に覚えています。
現在も週に1、2回はお店の仕入れに市場に行くのですが、
めちゃくちゃワクワクするので大好きな仕事の一つですね。
ですが小児ぜんそくはなかなか治らずに、
しょっちゅうおかんに夜中車をはしらせて病院に駆け込んでいました。
木材の湿気やハウスダストに弱く修学旅行や校外学習などはいつも薬を飲んでいました。
小学高学年は、
学校に行く→はとや(おもちゃ屋)→公園→商店街→晩御飯準備→ゲーム→寝る
の繰り返しで勉強は全然していませんでしたね。
勉強はしないのですが、なぜか成績はそんなに落ちないのが不思議ですね。
しかし見栄っ張りな性格は少年期に養われたもので当時も読んでいない本を読んだふりして、
「俺めっちゃ読書好きやねん」とどうでもいい見栄ばかり張っていましたね。
友達はなぜか下校方向の違う場所に住んでいたので学校から帰ると一人で過ごすことが多かったです。
あっあと思い出したのは、小学校も5年生になると、
何かクラブ活動に所属することが義務づけられたのですが、
僕はめんどくさがり屋で熱血嫌いでしたので、
5年生の時は百人一首クラブ
(ほぼ毎日テープから流れる百人一首を一緒のメンバーとおこなうクラブ←ホンマ意味ないね)
6年生はけん玉クラブ
(ほぼ毎日けん玉を1時間ほど練習するだけで大会などに出ることはないクラブ)
ざっとそんな小学生時代でした。
中学校に入ると僕が通っていた小学校は大きく二つに分かれてしまい、
仲の良い友達はほとんど違う校区に流れていきまた孤独になりました。
僕の入学した中学校は学ラン、
もう一つの学校はブレザーの制服だったのですがブレザーにかなりのあこがれを持っていました。
こんな小学時代なのでおかんと時間を共有することがほとんどないので、
家族団らんを経験した記憶がほとんどせん。
おかんにも「私が忙しすぎて、あんた(僕)の好物思い出せんわ」と言われてたほどです。
中学校に入ると何とか新しいい友達が出来てきたのですが、
ここで大きな事件に合うのです・・・・・・・・