株式会社ISSEI

茂久との出会い

突然引っ越しを言い渡された僕は、

転校して環境の変化に対応することができなかったのです。

【変化】

給食から弁当に変更

髪型が自由から丸坊主に変更

授業のスピードも転校前よりかなり進んでいた

友達がいない

前回のブログのどこかで小学校まではそこそこ成績もよかったと書いていたと思うのですがこの転校が転機になり勉強がすごく嫌いになりました。

そんな環境に慣れないまま中間テストの時期がきてほぼ白紙で提出したのを覚えています。

それからというもの学校が嫌いになり不登校気味な状態が続いているときに、

学校ではやんちゃ組の二人組が「一緒に遊ぼう」と声をかけてきてくれて転校後初めての友達ができました。

この頃もおかんは仕事が忙しく、僕は目を届かないことがいいことに好き放題の生活を送っていました。ですがやっぱり料理は好きでキッチンに立っては料理をしては友達に食べてもらうことは日課になっていましたね。

中学生活も3年生になると学校にはほとんど行かずにバイトに行っては夜遅くまで街をほっつき歩く(バイト先には高校生と嘘をついていました)ような生活が続いていました。

僕はこの時期から働くことで報酬を受け取ることが好きになり、その経験は今でも自分の糧になっています。

離婚から貧乏を経験してからお金にかなりの執着があったように感じます。

中学校に通いながらやんちゃな生活を過ごしていると、もちろんおまわりさんにもお世話になるとこが増えてきて、ついにおかんはあることを決断するのです。

その決断とは・・・・・

地元にいては悪さばかりで真面目に学校に行かないし、自分の手に負えないほど凶暴になっている僕を九州の施設に収監することにしたのです。

学校側もそれを承諾し僕は先生付き添いで新幹線に乗って九州へ向かったのです。

その施設は大分にある小さな学校のようなものでした。僕はその生活の中で最初はふてくしていましたが徐々にその生活も楽しくなってきたのです。

そしてその施設の夏休みにおかんの友人のお宅に1ヶ月ほどお世話になることになりました。そこの家はお父さんがひげ面のかなりいかつい感じの人で大きな家のまさしく「主」といった感じでした。

最初に仲良くなったのはこの家の長男で僕より歳がいっこ上の茂久というちょっとイケメンの子でした。茂久はいつも外で遊びに行くときに誘ってくれて僕は必死になって引っ付いていました。地元で開催する祭り(大分県の中津市にある祇園祭)にも、

「一輝!お前もでろよ」と誘ってくれたのを今でも忘れません。のちにこの茂久との絆が僕の人生を大きく変えることになるのです。

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